東京都東大和市にある「都立東大和南公園」は、緑や花に囲まれており、週末には多くの家族連れや子どもたちでにぎわう場所です。
笑い声が絶えない公園の中に、戦争の爪痕を残す「旧日立航空機株式会社変電所」が建っています。
航空機のエンジンを生産する軍需工場の電気を送電する施設として、昭和13年(1938年)に建設。現在は、戦災建造物として、市の指定文化財として保存されています。
いつもは柵が閉まっていますが、ちょうど「平和市民のつどい」により一般公開されていたため、中に入ってみることにしました。
旧日立航空機株式会社変電所の場所
「旧日立航空機株式会社変電所」の場所は、西武拝島線「玉川上水」駅から徒歩5分。都立東大和南公園の中にあります。
公園内には大きなトラックがあり、緑や花が多い中、グレーの色の建物がひときわ大きく目立ちます。
「平和市民のつどい」の開催前で、多くのキャンドルが並べられていました。
変電所の外壁には月のクレーターのような銃弾の痕あり
建物の壁面です。まるで月のクレーターのような弾痕の痕が多数あいています。
これは太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)に、3度に渡ってアメリカ軍の攻撃を受けてできたもの。軍需工場が集中していた多摩地域は、数多くの空襲を受けることとなったのです。
建物内にまで貫通している箇所もありました。銃撃の威力の恐ろしさがわかります。
変電所の西側には、工場内のほぼすべての水をまかなっていた高さ25mの給水塔がありましたが、こちらも米軍機による空襲を受けました。
2001年にやむなく取り壊されることになり、爆撃の痕が顕著に残っている部分だけを切り取って保存されています。
変電所の右側に、慰霊碑が建てられていました。この場所で、工場の従業員や動員された学生、周辺の住民など、合わせて111人もの尊い命が失われたのです。
変電所の内部には様々なパネルや爆弾の展示も
変電所の内部がこちらです。外が35度を超える猛暑日でしたので、この建物に入るととても涼しいです!
変電所の歴史や戦時中の貴重なパネルの展示がされています。
入り口近くに、東洋陶器製(現在のTOTO製)の洗面台が置いてあります。
2階部分は老朽化のため上がることができなくなっていますが、2階部分にも無数の爆撃の痕跡があることを写真で見ることができます。
すえ置鉛蓄電池が置いてある部屋の中にも、機銃掃射により貫通した穴がありました。
こんなに分厚い壁なのに、貫通してしまうなんて・・。外の景色を見ているうちに、恐怖心に駆られてきます。
実物大模型のポンド爆弾の展示も。こんなのが無数に落ちてきたら、恐ろしすぎます。
壁面に機銃掃射や爆弾の破片による多数の穴があいていても、鉄筋コンクリートの本体は致命的な損傷を受けなかったため、奇跡的に生き残ったのです。
ただ、ただ、ここで懸命に働いていただけなのに。
朝出勤して、通常通りの日常を過ごしていただけなのに。
中で銃撃を受けている最中、どれだけ怖かっただろう。
当時、ここにいた人の恐怖の叫び声が聞こえてきそうな気がして、胸がとても締め付けられる思いがしました。
戦争後は、工場は平和産業に転換し、自動車会社との合併や社名変更を重ねながら平成5年(1993)年まで操業を続けました。
この建物の状態のまま、工場への電気を送り続けたのです。
その後、変電所を含む工場の敷地は、都立公園として整備されることになり、変電所としての役割を終えることに。
地域住民や元従業員の方々の強い要望により、変電所の建物はそのままの場所で保存されることになったのです。
戦争を伝える文化財として後世に伝えていく
戦争で多くの尊い命が犠牲になりました。事実であり、歴史は変わることはありません。
でも、歴史に対する記憶は、歴史とともにどんどん忘れ去られてしまいます。
戦争の怖さ。
戦争の悲惨さ。
そして、平和の尊さ。
その壮絶な事実を伝えていく役割が、この変電所です。誰よりも雄弁に物語ってくれるこの変電所があることで、後世に伝わっていくことでしょう。
戦争の爪痕を大きく残す貴重な建物を見て、二度と戦争が起こらないことを願いました。
変電所の一般公開は、毎月第2日曜日の午後1時から4時、1階内部を公開しています。
後世に戦争を伝える貴重なきっかけにもなりますので、ぜひ見学に行かれてみてくださいね。
東大和市「旧日立航空機株式会社変電所」の詳しい情報はこちら
- 住所:東京都東大和市桜ヶ丘2・3丁目 都立東大和南公園内
- 問い合わせ先:東大和市立郷土博物館(042-567-4800)
- 交通:西武拝島線・多摩モノレール「玉川上水」駅より徒歩5分
- 変電所に関する東大和市の公式ページ