昼は多くの通勤客や買い物客が縦横無尽に行き交い、夜はきらびやかなネオン街に変貌する立川駅周辺は、「24時間眠らない街」と言えるであろう。
ほぼ毎日のように立川駅を利用している私としては、便利で何事もない当たり前の日常に感謝しつつ、当たり前すぎる日常に不安になることもある。
人工的に作られた街並みは近未来的で美しく、生活する上では不自由さを感じることはない。しかし、この当たり前の日常がずっと続くとは限らないのが現実・・。
「便利さに慣れちゃいけない。」
地震や台風にによる災害が多い昨今。当たり前に慣れすぎてきたなと思ったら、私はあえて、さらに東京の西側に向かう。
真っ暗である。
カメラの補正で明るくなってはいるが、街灯がない山の中を一人で歩いていると、恐怖と不安に襲われ、足がすくむほどである。
いつものきらびやかなネオン街はない。
前に進むために必要な街灯はほとんどない。
電源やWi-Fi完備のカフェやファストフードもない。
これが「自然」そのものというもの。もし、自分がこの中にポイッと放り投げられたら、一体どうやって生きていくのだろうか?
水や食料はどうやって確保する?
火はどうやって起こす?
寒さをしのぐためにはどうしたらいい?
スマホの電波なんて届かないとき、どうやって助けを求めたらいい?
「なんとかして生きなきゃ、生きるためにどうすればいい?」
「当たり前」にあるものがない場所に訪れると、野性的な感覚がどんどん研ぎ澄まされていくのを感じる。
同時に、当たり前にあるものに対して、感謝の気持ちでいっぱいになる。
生きていくのはつらい。
しかし、こんなに便利な街を作ってくれた人たちに、つらい、大変!なんて言っていたら失礼じゃないか?
日常にある「当たり前」を「ありがたい」と言い換えた瞬間、物ごとを見る視点が変わり、見える景色が変わるから不思議だ。
日常にある「当たり前」が、実は「当たり前」ではない。
近すぎるがゆえに、見えなくなっていることに気づくようにしよう。
この街にあるものが当たり前と思い込み、感謝の気持ちを感じることが薄れてきたら、再び鈍った感性を磨きに出かけようと思う。