今から20年前、突如として頭上にレールができた。
電車なんて地面の上を走るものだと思っていただけに、空に近い部分に電車が走るなんて、夢のような話だった。
多摩モノレールは、南北方向の交通手段の整備が望まれていた多摩地域を縦断する路線である。
都心と多摩地域を結ぶJR中央線が大発達するなかで、多摩地域の縦方向は鉄道がない。鉄道空白地帯だった地域に、鉄道ができたことは画期的なことだった。
多摩地域の大学に通うために、ちょうどモノレールができたことで、大学内ではモノレールの話でもちきりになっていたほどである。
モノレールは多くの大学を結ぶための必需品となり、多くの若い人たちの憩いの場になっていた。
新しいものができたら、誰だってうれしいもの。
用事なんて特になかったけれど、ピカピカの電車に乗って、ただ誰よりも上の空間を楽しみたいがために、ムダにモノレールに乗っていた気がする。はっきり言って、金のムダ使いでしかない。
でも、モノレールからは富士山が見える。
上北台駅から甲州街道駅の区間では、高層建築物の多い立川周辺を除いて、南西方向に見える富士山の眺望がよい。日本一の山を独り占めできた気分に浸れる。
これこそ世界がうらやむ特等席に違いない。そんな言い訳をしながら、景観の素晴らしさを目に何度も焼きつけて来た。
大学のサークルでいざこざがあったり、大切な人と別れたり・・。悲しいできごとが起きたりしたときは、モノレールに乗って自分の気持ちを落ち着かせたぐらいだ。
大学を卒業してからも、頭上を走るモノレールの姿に、何度となく励まされたことか。
ときどき動物の絵柄をしたモノレールが走ったり、絵柄なんてない鉄のカタマリのようなものが走ったり。
このまま「銀河鉄道999」のように、星の中に走っていったらいいのにな・・。
心が締め付けられるほど辛くなったとき。
ガタンゴトンではなく、スィィーーンという音で駆け抜けていくモノレールを見ていただけで、私の心はストーンと落ち着いていったものだ。
もう20年も経つのか。モノレールは比較的スローペースで走るけれど、時が流れていくのは早いなぁ〜。
何度となく、モノレールに私の人生は救われたことであろう。
つらいとき。
悲しいとき。
楽しいとき。
人生のレールをはずれたとき、レールの上を走るモノレールが死ぬほどうらやましかった。でも、そんなものうらやましがったところで、何も生まれない。
うらやましいけれど、ただ、そんなことより、数百倍も感謝の気持ちしかない。
色んな人の人生を乗せて走るモノレールは、私の人生にたくさんのことを教えてくれた。
私は多摩モノレールが大好きだ。
心から感謝の意と、ただ好きな気持ちしかない。
私の人生とともに、半生を歩んでいるからだ。まさに同士だ。家族だ。
これからも、モノレールが頭上を走る姿を見ながら、レールがはずれようが再び乗ろうが、自分の人生というレールを見つめてしっかりと走り続けたい。